見えない鎖を外す

2025-01-14 14:30:00

項暁雨 景徳鎮陶磁大学 

 

「戦争って、まじですぐそこにあったんやなって思った。」「戦争があったなんてみんな知ってる。」これは「昔はおれと同い年だった田中さんとの友情」というドラマでの主人公とクラスメイトの会話の断片だ。主人公の拓人が田中さんの戦争体験を紹介している中で、クラスメイトたちは戦争に関心を持たず、「常識だから、みんな知っている」と軽々しく言った。 

戦争と言えば、常に暴力、死亡などネガティブな印象を与えている。暗い話だから、人々は無言の約束をとり交わしたかのように日常生活において戦争のことを一切語らない。戦争なんて自分に関係もなく、巻き込まれないだろうと思っている。知らず知らずのうちに、戦争は人々の記憶の奥底に眠ってしまっていった。 

自分自身を振り返ってみると、生まれて以来、ずっと和やかな雰囲気の中で育ってきた。自分が幸せに生きることばかりを気にして、他人の不幸な生い立ちに共感したことがない。周りのみんなは戦争のことを深く考えたことがないから、私も戦争なんて考える必要がないという甘い考えで、自分のことを正当化してきた。試験でいい成績を取るために、書物で学んだ知識を暗記してばかりいた私は戦争のことを聞かれたら、具体的な時点や場所に至るまで、細かく答えることができるだろうと自信満々だった。しかし、戦争についてどう思うかという質問にはどう答えてよいか分からない。 

私たちはみな「思考停止」に陥ってしまっていると思う。物事の概念を知るだけで世の中について理解したつもりになっているが、実は自分の知らない世界に一歩も踏み出したことがない。常識は世界観を築く道具であるはずなのに、今は見えない鎖になって人々を縛るものになってしまった。常識からはみ出さないように、変人扱いされないように、私たちは盲目的に周りに流されている。 

大切なのは、常識を身につけた上で自分なりの意志をもって物事を考え直すことだ。戦争が起これば、美しい建物は一瞬にして廃墟と化す。しかも人々は難民になって死の恐怖に襲われる生活を送る。戦争の痛手を知るからこそ、平和の恩恵を知る。そして身近な幸せを大切にして命を惜しむ。世界は運命共同体であるので、世界とのつながりを深めるのは必要だ。閉塞感を打破し、異なる視点から世界を展望する。今でも、平和な国がある一方、世界の向こうには日々戦争に苦しむ国もある。他国が戦争にかき乱されると同時に、私たちも戦争に巻き込まれるおそれがある。それは逃げられずに立ち向かうしかない局面だ。悲劇を繰り返さないように、世界の一部としての私たちは責任を担って何かしなければならない。人間の力は微力でしかないが、力を合わせれば、世界はいつか望ましい形で私たちの前に姿を現すと私は信じている。

 

 
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